無料ブログ作成サービス JUGEM
私の履歴書(20)45歳の使命


私の履歴書(20)45歳の使命

<前回より>

去る3月9日に無事に45歳の誕生日を迎えることができました。この1年間を振り返ると、その前の3年間の厄年が嘘だったかのように、事業は再び安定軌道に乗り、今後も自分が健康である限り、長期的に事業継続していく目途が立ちました。45歳にもなると、自分に出来ることと出来ないことが良く分かるようになり、自分が出来ることに集中さえしていれば、何事も良い方向に向かっていくということを実感しています。言葉で言うのは簡単ですが、今までの私は自分が出来ないことも無理して背伸びしていたために、しなくても良い苦労をしてきたようにも思います。自分が出来ないことは、専門家に相談するか、外部業者にアウトソースしてしまうことで、自分自身の本業に集中することができるようになりました。

今後の目標は、やはり健康第一で、少なくとも70歳までは現役でいられるように体調管理に気を付けたいと思います。人生のパートナー探しはなかなか思うようにはいきませんが、幸い沢山の良い友人関係に恵まれているので、これからも様々な会合に参加もしくは自分で企画して、また新たな友人関係を構築していくとともに、昔からの友人関係も大切にしていきたいと思います。
続きを読む >>
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |
横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組 文化祭学園ドラマ「REVERSE」後編
横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組 文化祭学園ドラマ「REVERSE」後編



リバースワールドから現実の世界に戻ってきた上杉の前に転校生の水沢が現れる。上杉は水沢に声をかけようとするが、水沢は何も言わず上杉の前を通り過ぎていく。

上杉祥役=木津英隆
水沢涼子役=小林章子
岬英雄役=川崎秀樹
荒川進役=荒進治郎
杉田栄造役=杉崎栄治
大野知子役=平田由紀子
吉本薫役=桜井美保
西本和恵役=友井亜紀子
片桐次郎役=吉井雅治
生徒会長役=尾畑和久
担任教師役=清水信裕

横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組の文化祭学園ドラマ「REVERSE」の懐かしい映像です。転校生の水沢涼子役を演じている小林章子さんの演技が抜群です。

当時の僕は内向的な性格で、なぜ学園ドラマの主役に抜擢されたのか正直良く覚えていません。ドラマの前半はぎこちなかったセリフも、後半は顔つきも変わって、かなりしっかりセリフを話せるようになっており、ドラマを通して成長したことが見て取れます。その後の僕は急にリーダーシップを発揮できるようになり、生徒会長選挙にも立候補して当選を果たします。恐らく小林さんの演技力が僕にも乗り移って、度胸がついたのだと思います。

全国に同姓同名の人が沢山いると思いますし、結婚して苗字が変わっている可能性も高いと思いますが、小林章子さんは僕の人生に大きな影響を与えてくれた人だと思うので、何とかして探し出したいです。1987年の秋頃、中学2年生だった方で、関東近辺で小林章子さんという名前の転校生に会った記憶のある方はご連絡頂ければ幸いです!
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |
横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組 文化祭学園ドラマ「REVERSE」前編
横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組 文化祭学園ドラマ「REVERSE」前編



昭和62年6月、横浜市立田奈中学校2年1組で文化祭実行委員の上杉祥は校庭でサッカーボールを後頭部に当てられたショックで文化祭の開催されないリバースワールドに飛び込んでしまう。リバースワールドでは生徒から教師への絶対的な服従が必要で、朝夕のお辞儀は必ず90度でなければならない。校則もがんじがらめで、生徒はひたすら勉学に励む環境の中で、上杉は転校生の水沢涼子と共に文化祭の開催を実現させるために奔走する。ようやく生徒総会で文化祭をクラス提案できるところまでこぎつけた上杉と水沢に危機が迫る。

上杉祥役=木津英隆
水沢涼子役=小林章子
岬英雄役=川崎秀樹
荒川進役=荒進治郎
杉田栄造役=杉崎栄治
大野知子役=平田由紀子
吉本薫役=桜井美保
西本和恵役=友井亜紀子
片桐次郎役=吉井雅治
生徒会長役=尾畑和久
担任教師役=清水信裕

横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組の文化祭学園ドラマ「REVERSE」の懐かしい映像です。転校生の水沢涼子役を演じている小林章子さんの演技が抜群です。

当時の僕は内向的な性格で、なぜ学園ドラマの主役に抜擢されたのか正直良く覚えていません。ドラマの前半はぎこちなかったセリフも、後半は顔つきも変わって、かなりしっかりセリフを話せるようになっており、ドラマを通して成長したことが見て取れます。その後の僕は急にリーダーシップを発揮できるようになり、生徒会長選挙にも立候補して当選を果たします。恐らく小林さんの演技力が僕にも乗り移って、度胸がついたのだと思います。

全国に同姓同名の人が沢山いると思いますし、結婚して苗字が変わっている可能性も高いと思いますが、小林章子さんは僕の人生に大きな影響を与えてくれた人だと思うので、何とかして探し出したいです。1987年の秋頃、中学2年生だった方で、関東近辺で小林章子さんという名前の転校生に会った記憶のある方はご連絡頂ければ幸いです!
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |
私の履歴書(19)30年前の記憶


私の履歴書(19)30年前の記憶

<前回より>

僕が中学2年のときなので1987年の時の話になります。横浜市立田奈中学校2年1組で製作した文化祭学園ドラマ「REVERSE」のビデオを久しぶりに実家で見ました。当時担任だった清水信裕先生の演出で、いま見てもなかなか面白く、僕と一緒に主役で共演した演劇部所属の小林章子さんの抜群の演技力で中学時代の色々な思い出が蘇ってきました。

当時の僕は内向的な性格で、なぜ学園ドラマの主役に抜擢されたのか正直良く覚えていません。ドラマの前半はぎこちなかったセリフも、後半は顔つきも変わって、かなりしっかりセリフを話せるようになっており、ドラマを通して成長したことが見て取れます。その後の僕は急にリーダーシップを発揮できるようになり、生徒会長選挙にも立候補して当選を果たします。恐らく小林さんの演技力が僕にも乗り移って、度胸がついたのだと思います。

実は若気の至りで、卒業後に先生から借りたビデオを今まで返却しておりませんでした。小林さんからも高校時代に電話を一度もらっていたのですが、当時の自己中心的な性格が災いして、その時も返却しに行きませんでした。小林さんにとってもこのビデオは青春時代の大切な思い出の一つだったはずです。
続きを読む >>
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |
私の履歴書(18)43歳の教訓
kitsu1

<前回より>

私の履歴書(18)43歳の教訓

40代も早いもので、あっという間に3年が過ぎました。今年の誕生日も所属IFAの美女同僚達と大学同窓会メンバーの仲間達に祝って頂き、楽しい時間を過ごすことができました。

この1年を振り返ると、イギリスでEU離脱決定、アメリカでトランプ大統領が誕生、ヨーロッパでも極右政党が支持率を伸ばすなど、各国で自国を優先する保護貿易の傾向が強くなってきていることが今後の世界経済の懸念材料と言えます。

一方、日本国内では安倍晋三首相による長期安定政権が継続しておりますが、政府が黒字化をめざす2020年度の国と地方の基礎的財政収支は8.3兆円の赤字を見込むなど、高成長・高インフレを前提とした財政健全化が困難なことが浮き彫りになっており、赤字解消には社会保障の抜本改革も含めた追加策が必要な状況となっております。

年金給付を巡っては、年金額を今より抑え、将来の年金額を確保するために、21年度からは現役世代の賃金が下がったときに高齢者が受け取る年金額も減らされることになります。現在の公的年金制度の持続可能性を高めるためには、他にも年金の受給開始年齢の引き上げや、私的年金の充実などの大きな改革が避けて通れない状況です。

私の仕事はこれまでも一貫して、日本国内の将来的な年金削減リスクに備えて、自分の年金は自分で作る準備をしておくことを提案させて頂きましたが、この方針は今後も変わりません。また、一人一人のお客様との面談を通して、この仕事が自分にとっての天職であるということを改めて実感しております。色々なお客様がいらっしゃいますが、私は基本的に人と会う仕事が好きなので、どのようなご相談にもできるだけ親身になってお話をお伺いさせて頂きます。
続きを読む >>
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |
私の履歴書(17)42歳の不惑
kitsu49

<前回より>

毎年、自分の誕生日に「私の履歴書」シリーズを更新すると決めていたのですが、今年は忙しさにかまけて、更新が3か月以上も遅れてしまいました。誕生日前の直近1年間を振り返ると、公私ともども人生ワースト3に入る大変な年だったように思います。男性の41歳は本厄の年でしたが、年初に厄払いも何もせず、厄年を甘く見ていたことが裏目に出ました。これではいかんと思い直し、昨年10月、上杉謙信公の永遠のライバルである武田信玄公を祀る武田神社で厄払いをして頂いた後、少し運勢が良くなってきたように思います。

気が付けば、自分も今年は42歳、楽しかった30代はあっという間に過ぎ、自分も中年の領域に入ってきました。昔は人生50年だったことを考えると、これから先の人生はボーナスのような人生と言えるのかもしれません。30代後半で自分の一生やるべき今の仕事を見つけることができたのですが、昨年は他の仕事を掛け持ちしようとしてあまりうまくいかなった反省もあり、今後はもう迷うことなく、香港在住独立系ファイナンシャルアドバイザーとしての仕事に徹していきたいと思います。

そう決意した途端、心の迷いがなくなり、仕事も少しづつ昔の活気を取り戻してきたように思います。とにかく私達の仕事はお客様の立場に立って、可能な限り中立的なアドバイスをしていくことが求められます。香港にも様々な金融商品があるので、各商品が持つリスクとリターンの関係をどれだけ正確にお客様にお伝えする能力を備えているかどうかが、この仕事の神髄と言えます。

私自身、以前に格付け会社に勤務していた経験が、現在の仕事にも生かされており、様々なデータを用いて、各金融商品の特徴を出来るだけ分かりやすい言葉でお客様にお伝えすることを心がけています。お客様一人ひとり、運用目的はそれぞれ異なるため、最初のコンサルティングに出来るだけ多くの時間をかけて、それぞれのお客様のニーズに適した商品を提案できることが私達の存在価値とも言えます。

2009年に香港で独立開業した際、お客様に献身的なサービスを提供し、資産運用サービスを通してお客様に心から健康(健心)になって頂き、上杉謙信公のように皆様から頼られる存在のアドバイザーになることを掲げて、サラリーマン人生から独立することを決意しました。今でもその気持ちに変わりはありませんが、7年の月日が過ぎ、自分の心に甘えが生じていた部分もあったように思います。

これからはもう迷うことなく、一期一会を大切にして、素敵な人達と巡り合いたい、そんなことを出張先の上海で、外灘の夜景を眺めながら、考えておりました。「香港IFA木津英隆のマネーは巡る」はまだまだ巡ります。これからも皆様のご支援を宜しくお願い致します。

<来年へ続く>
続きを読む >>
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |
私の履歴書(16)41歳の決断
kitsu38

ただいま、花婿修行中です!

<前回より>

ちょうど1年前の2014年3月9日(日)、人生40周年の節目となる日を、多くの友人とお取引先の皆様にお祝いして頂き、人生最良の日を迎えることができた。あれから1年、この1年は仕事上は試練の1年だった。円安傾向のため、ドル建てプランを中心に取り扱う弊社の売り上げはピーク時の半分以下に減ってしまった。自社オフィスを閉鎖し、経費を大幅に削減して、生き残りを駆けた戦いが今も続いている。起業当初は毎日更新していたブログも、更新頻度が大幅に少なくなってしまい、自分自身の仕事に対するモチベーションも下がってしまったようだ。起業して6年、自分なりに奮闘してきたが、もはやこれまでかと覚悟を決めた。

しかし、自分はどうもピンチになると、急にやる気が出てくる体質らしい。ブログの更新頻度は減ったが、フリーペーパーの記事広告やSNS経由での問い合わせが増えて、ここ最近は毎日の問い合わせ対応に忙殺されている。私が数年前に書いたブログ記事を読んで、あるいは幣筆の私の履歴書シリーズを最初から全部読んでくれて、私に問い合わせをしてくれるクライアントもいる。金融の仕事は何よりも信頼が大切だ。決してクライアントの前で甘言を言うことなく、リスク説明を最初にしっかりした上で、香港の金融機関を活用するメリットを地道に説明してきた効果が表れてきた。

私個人の目標もできた。これまでは仕事が恋人で、一生独身でもかまわないと考えていたが、ここ最近、家族や結婚に対する考え方が変わってきた。クライアントとは家族ぐるみの付き合いになることも多いが、私自身の家族がいないのは、何とも心苦しい。クライアントに推奨するプランは、自分自身もほぼ全て契約しているが、学資保険だけは自分の子供がいないので、契約したくても契約することができない。4年前の震災以降、結婚するカップルが増えたというが、皆、命をつなぐ大切さに気付いたのだと思う。

私も仕事が減って、ピンチに陥ったとき、そのことにようやく気が付いた。自分が苦しいとき、本当に心配してくれるのは家族しかいないのだと。いまはまだ両親が健在だが、長男で後継ぎのいない私のことを、父はいつも嘆いている。後継ぎという時代でもないが、40代になって、自分自身の仕事に対するモチベーションが下がってしまったのは、自分の家族がいないことが多少なりとも影響しているように思う。そういうわけで、ブログタイトルの41歳の決断は「家族を作る」ことだ。え、もう相手は決まっているのかって?そんな野暮な質問はしないでほしい・・

<いったん終わり>
続きを読む >>
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |
私の履歴書(15)40歳の決意
まだまだこれからも沢山の素敵な人達と巡り合いたい!

<前回より>

2014年3月9日(日)、人生40周年の節目となる日を、多くの友人とお取引先の皆様にお祝いして頂き、人生最良の日を迎えることができた。30歳になるときは、早く30代になって大人の仲間入りをしたいと思っていた。40歳になるときは、出来ることならこのまま時間が止まって、いつまでも30代のままでいたいと思っていた。30代で人生のドン底と頂点を両方経験したが、振り返ってみると、いままでの人生の中で最も充実した幸せな時間だった。40代はどんな人生になっていくのかまだ分からないが、10年後に振り返ったときに、40代が一番幸せな人生だったと言えるように、1日1日を大切に生きていきたいと思う。

3年前の大震災で生きたくても生きれない命が沢山あったことを考えると、歳を取るというのは幸せなことだ。だから私達は日々を一生懸命生きることで、子孫繁栄のために尽くさなければならない。もしも自分の子供がいなかったとしても、次の世代が安心して暮らしていける社会にしていかなければならない。これからも日本の少子高齢化はますます深刻になっていく。どこかでいまの社会保障制度をリセットしなければ、100年先まで禍根を残すことになる。香港在住資産運用アドバイザーとして「自分の年金は自分で作る時代」だということを、これからも訴え続けていきたい。

どうにか会社設立5年目を迎えることができたが、朝寝坊しても優雅に朝マックを食べられたのは最初の頃だけの話で、いまはスーツケースを移動オフィス代わりにして、香港だけではなく、日本・中国・ベトナムなどセミナー開催の依頼があればどこへでも飛んでいく。そして、私自身もいまの仕事が、皆様のライフプランやご家族を助けるために大いに役立つ、と自信を持っている。個別で面談した方からは感謝の言葉を頂けるし、投資や保険商品のお申込みをして頂いた後、本来なら私からお礼を申し上げるべきところだが、逆にお客様から「これで安心して本業の仕事に取り組めます。本当に有難うございます。」という言葉を頂けることが多くなった。
続きを読む >>
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |
私の履歴書(14)リーマンショック
2008年9月にリーマンショックが勃発し、新興国の株価は真っ逆さま状態となった。

<前回より>

2008年3月、香港のIFA(独立系ファイナンシャルアドバイザー)企業に就職した私に与えられたミッションは主にIR(インべスターズ・リレーションズ)業務であった。前年、米国で発生したサブプライムローン問題が新興国市場にも影響を及ぼし、中国を始めとする新興国の株価が下落し始めていた。世間では多くのエコノミストが、サブプライムローン問題が米国経済に深刻な影響を及ぼす可能性について警鐘を鳴らす一方で、新興国の台頭で中長期的にエネルギーや穀物の価格が上昇するとのデカップリング論によって商品市場は値上がりが続いていた。私が所属するIFAは日本で定期的に既存投資家向けの運用報告会を行なっており、私も通訳として同行していた。顧客の資産を預かるポートフォリオマネージャーは、2008年前半の株価下落を一時的なものとして捉えており、3月に米国政府がベアスターンズ証券を救済したことから、市場はやがて落ち着きを取り戻し、2008年後半は世界の株価は上昇に転じるという説明を繰り返していた。しかし、そうは問屋が卸さなかった。2008年9月にリーマンショックが勃発し、新興国の株価は真っ逆さま状態となった。その後は、顧客からの苦情処理の対応に追われて、新規営業どころの話ではなくなってしまった。そうして数ヵ月後、私自身も会社側から雇用契約の解除を通告された。

香港へ戻ってきてわずか1年後に大きな壁にぶち当たってしまったわけだが、幸いにも別のIFA企業が私を資産運用コンサルタントとして採用したいと声をかけてきた。渡りに橋の話ではあったが、昨年の金融危機の影響もあり、本当にこの業界で仕事を続けていくことが自分にとって正しい選択肢なのかどうか、大いに迷った。しかし、新しく所属先となるIFAのシニア・ディレクターT女史と出会ったことで、迷いは吹っ切れた。彼女曰く、「世の中に投資のプロを名乗る人達は星の数ほどいるが、本当に投資で勝ち続けている人はごくわずかに過ぎない。結局のところ、人間の感情というものが冷静な投資判断の邪魔をして、損失が損切り基準を超えているのに売却することができない、まだ値上がりする可能性がある投資対象を売り急いでしまう、ということが頻繁に発生する。だから、資産運用コンサルタントは、短期的なキャピタルゲイン目的の投資対象を推奨するべきではない。中長期的に成長することが確実な投資対象を選択して、あとはクローズ・ザ・ブックすれば良い。そうすれば損失が出る可能性は低くなり、自分が目標とするリターンを中長期的に達成することが可能になる。」
続きを読む >>
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |
私の履歴書(13)そして再び香港へ
大きなスーツケースを抱えて成田空港に到着した私の行き先は・・・

<前回より>

2008年3月、ノースウエスト航空の香港行き往復航空券と、荷物がぎっしり詰まった大きなスーツケースを抱えて、成田空港に到着した私の心は浮足だっていた。航空券は一応、帰りの便の予約も入れていたが、帰りのチケットを使うつもりはなかった。香港のIFA(独立系ファイナンシャルアドバイザー)企業への転職が決まり、私は再び香港で働き始めることになった。2003年末に香港を去ってから、既に4年の月日が流れていた。その間、香港駐在の仕事を探し続けて紆余曲折もあったが、結局、香港で現地採用の仕事につくことに決めた。現地採用は駐在期間が決まっていないので、自分でいたいだけ香港にいることができるし、ある程度、仕事で実績を積んだ後は、会社を独立することも可能だ。香港での法人設立は、コンビニで携帯電話の支払いをするのと同じぐらい簡単だ。この時点では、まだ独立することなど夢にも思っていなかったが・・・

<次回へ続く>
続きを読む >>
| 香港IFA木津英隆 | 私の履歴書 | comments(0) | - | - | - |