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私の履歴書(23)48歳の年男


私の履歴書(23)48歳の年男

<前回より>

今年も3月9日のサンキューの日に、無事に48歳の誕生日を迎えることができました。今年は寅年の年男で、香港在住生活も通算19年目となりましたが、90歳でも現役バリバリのウォーレン・バフェット氏を目標に、私も健康第一で、これからも自分の仕事を頑張っていきたいと思います。ただ、香港ではゼロコロナ政策を前提とした厳しい水際対策が継続されているため、私ももう2年以上も日本へ一時帰国することができておりません。さすがにこれだけ日本へ帰れないと郷愁の思いも強くなりますが、週末は友人達とハイキングへ出かける等して、健康維持に努めております。

さて、この1年間の世界経済と香港情勢の振り返りにつきまして、米国を中心にコロナ後の経済活動を見据え始めた先進国の株式市場は好調でしたが、引き続きゼロコロナ政策を堅持する中国と香港の株式市場は低調でした。香港で事業展開する欧州系企業でつくる香港欧州商工会議所は、今後1年以内に全面的または部分的に香港からオフィスを移転することを計画している欧州企業が49%に上るという調査結果を発表しています。入境・隔離規制をはじめとする香港政府の厳しい新型コロナウイルス対策が理由で、政府のゼロコロナ戦略が企業活動や市民の生活に深刻な影響を与え、「全世界とつながる中国本土への玄関口」という香港の最大の利点はほぼ完全に失われていると指摘しています。

香港政府がゼロコロナ政策を継続することで、これまでアジア地区における統括拠点を香港においていた製造業を中心とする多国籍企業の流出が懸念される状況ではありますが、国際金融センターとしての香港の優位性は引き続き維持されております。英Z/Yenグループと中国(深セン)総合開発研究所が共同発表した第31回世界金融センター指数リポートによると、世界119カ所の金融センターを対象に、ビジネス環境・人的資本・インフラ・金融セクターの発展レベル・評判の5つのカテゴリーで評価した結果、香港の指数は715ポイントで、ニューヨークとロンドンに続く世界第3位となり、昨年9月に発表された前回リポートのランクを維持しています。香港政府は、国際金融センターとしての香港の優位性について、新型コロナウイルス感染症流行と地政学的リスクが引き続き世界の金融市場に不確定性をもたらしている中、香港の金融市場は順調に運営され、資金流出入の異常な状況は見られないこと、中国本土の第14次5カ年計画で、香港が有するオフショア人民元業務ハブ、国際資産管理センター、リスク管理センターとしての機能強化を支援すると明示されていることなどを優位性に挙げています。

また、香港行政長官の林鄭月娥氏は2021年施政報告の中で、深センに近い香港北部に大阪市に匹敵する250万人都市を建設する計画を発表しました。深セン西部と香港北部を結ぶ新たな越境鉄道の建設も計画されており、2021年央時点で香港の人口は約739万人ですが、20年後には東京23区を上回る1000万人都市となる見込みです。今後も中国本土との経済的結びつきは強化されていくことと思いますが、一国二制度となっている香港・中国間には物理的なボーダーが存在し、金融や為替制度も全く異なります。香港には中国内外の金融・ビジネス関係者が公平で非政治的な取引を行うことのできる欧米型の法・規制制度があり、法の支配、有能な規制当局、低い税率、自由な資本移動、英語の使用といった面で、香港は中国本土のライバル都市と比べて大きな違いがあります。上海市場と深セン市場は、以前に比べれば利用しやすい市場になったと言われますが、投資家は香港における法的保護のほうが依然望ましいと考えるため、上海市場でさえ、近い将来に香港の役割を果たすことはできないだろうと言われています。香港の代替地が存在しない限り、世界の金融センターとしての香港の役割を中国政府が安易に手放すことは対外政策的に想定できず、香港の金融面での優位性は今後も継続されることになるかと思います。

そんなわけで、香港で金融マンとして働く私は今後も香港での仕事を継続していくことにはなりますが、「全世界とつながる中国本土への玄関口」という香港の最大の利点が一刻も早く回復することを願ってやみません。香港の面積は東京23区の約2倍程度あり、郊外のハイキングコースの自然やビーチは美しく、離島へのハイキングや海鮮料理も楽しめますが、もう香港の地元ツアーガイドができてしまうほど、色々な場所へ行き尽くした感があります。。今年こそは日本の温泉にゆっくり浸かって、日本の美味しいものを沢山食べて、日本でフル充電したいものです。もうすっかり良いオジサン年齢となりましたが、まだまだ若い者達には負けない気持ちで、残り2年間となった40代を楽しみたいと思います。

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私の履歴書(22)47歳の覚悟


私の履歴書(22)47歳の覚悟

<前回より>

47年前のサンキューの日に生まれた私ですが、日付が覚えやすいこともあり、毎年SNS経由で多くの友人知人から誕生日メッセージが届きます。そんなわけで、ここ数年、毎年3月9日は朝から夕方までSNSから届くメッセージの返信作業に集中することが恒例行事のようになっております。そして、誕生日の翌日には「私の履歴書」ブログを更新して、この1年間の世界情勢の振り返り、自身が今後進むべき進路について考察することも恒例行事になりつつあります。仕事上の都合で、なかなか定期的にブログ更新ができない状況が続いておりますが、自身が現役でいる限り、毎年の誕生日の翌日には「私の履歴書」ブログを更新していきたいと思います。

まず、この1年間の世界情勢の振り返りですが、新型コロナが世界中で猛威を振るい、パンデミック宣言から1年以上が経過した今でも終息できず、世界中で多くの人命が失われ、歴史に残る大惨禍となってしまいました。今後はワクチン普及によって終息へ向かう道筋が見えてきたことがせめてもの救いですが、新興国では再び変異ウイルスによる感染者増加が続いていることは気がかりです。香港でも一般市民へのワクチン接種プログラムが開始されておりますので、私自身もワクチン接種可能なタイミングとなった際には迷うことなく接種して、一刻も早く集団免疫を持つことが肝要かと思います。

コロナ禍が長期化したことで人々の働き方は大きく変わり、リモート勤務が常態化、オフィスは必要な時だけ行くというワーキングスタイルに変わりつつあると思います。私自身もZOOM等のリモートツールを大いに活用して、遠方に住むクライアントとも簡単にコミュニケーションが取れるようになったことは非常に素晴らしいことだと思いますが、その一方で、国境を跨ぐ移動が制限され、外国との往来が途絶えたことで、国際金融センターである香港も観光や旅行業を中心に大きな打撃を受けています。私自身も保険業でありながら旅行業のような性質もあり、香港へ定期的にお越し頂いていたクライアントの皆様とのリアル交流ができない状況が続いていることは非常に残念に思います。今年こそはワクチン普及で、また皆様とリアルにお会いできる日が待ち遠しい状況です。

香港では2019年から民主化要求デモ活動が続き、市街地で暴動が発生した影響もあり、昨年6月30日には中国の全人代で香港国家安全維持法案が可決され、即日施行となりました。香港国家安全維持法が施行されたことで、1997年の香港返還時に約束された一国二制度の形骸化を心配する声が聞かれましたが、施行から8か月が経過した現在、今後も香港で言論の自由と司法の独立が守られていくかという点に関しては大いに注視していく必要があると思います。しかしながら、中国大陸にはない香港独自の優位性である国際金融センターとしての外貨交換や海外送金の自由、自由貿易港としての簡素で効率的な通関制度、多くの外資系企業が活動する上で有利な低率で分かりやすい税制は相変わらず維持されており、今後もビジネス的な香港の優位性には影響がないと思われます。

但し、香港は世界中からヒトモノカネを集めて発展してきた経緯もあり、今年もコロナ禍によるボーダー制限が長期化するようであれば、経済のマイナス影響が様々な業種に及ぶことになり、さらなる失業率の上昇による景気後退が避けられない情勢となるでしょう。このような情勢の中、私自身もこのまま香港に居続けることが正しい選択肢であるかどうか大いに迷いましたが、47歳の誕生日に引き続きここで頑張り続ける覚悟を決めました。

香港は不思議な街です。私が香港に住み始めた1999年から、いえそれ以前からもずっと、この街はいつも世界情勢に振り回されて、試練の時代がありました。試練が起きる度にいつも不死鳥のように復活するこの街は、街全体が風水に基づいて設計されている建物が多いことと無縁ではないと思います。私は少し仕事で疲れたとき等、香港島のビクトリアピークに登って、香港の街全体を眺めるのが好きです。そこには対岸の九龍半島から発した龍がビクトリアハーバーを越えて、このビクトリアピークへ向けて登ってくる様子が見えることがあります。その度に、私は、よし、また明日から頑張ろうと思えるエネルギーをもらうことができます。私が何を言っているか良く分からない方は、次回、香港へお越し頂けるようになったら、私に観光ガイドをお申しつけください。天気の良い快晴の日にはきっと、皆様にも香港の龍が空を飛んでいる姿が良く見えることと思います。

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私の履歴書(21)46歳の波乱万丈


<前回より>

私の履歴書(21)46歳の波乱万丈

去る2020年3月9日に無事に46歳の誕生日を迎えることができました。この1年を振り返ると、香港では逃亡犯条例改正に端を発したデモ活動が半年以上も続き、昨年11月24日の区議会選挙で民主派が圧勝、ようやく平和が訪れると思いきや、年明けからは新型コロナウイルスの影響が世界中に広がり、波乱万丈な1年間となりました。幸い香港では2003年のSARSの教訓もあり、パンデミック状態にはならず、生活物資も十分足りているので、外出時にマスク着用が必要となることを除いて、普通の生活を送ることができています。

新型コロナウイルスの発生源となった中国本土もパンデミックの一次ピークは越えましたが、現在はイタリアやスペインなど欧州がパンデミック状態となっており、香港では海外からの帰国者を一律2週間、自宅で隔離されることになりました。そのため、私もどこにも出張に行けず、香港の中で自分の仕事を頑張っております。今回の新型コロナウイルスの影響がいつまで続くのか、当初は3か月ぐらいでピークを越えると言われていましたが、有効なワクチンが開発されるまで2年〜3年は影響が続くと言っている専門家もいます。

経済よりも人命が優先されることは言うまでもありませんが、ここまで影響が長期化してしまうと世界経済に与えるインパクトも大きく、世界中の株価が大幅に下落する状況となっています。このままいくと2008年のリーマンショックに匹敵する金融危機になってしまうかもしれませんが、どんなときにも冷静さを保つことが大切です。思えば2003年のSARSの時も、2008年のリーマンショックの時も私は香港にいて、金融業界でマーケットが大きく動くのを見てきました。今回のコロナ危機がいつまで続くかまだ分かりませんが、一つだけ言えることは悲観的な市場の後には、必ず楽観的な市場になるということです。
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私の履歴書(20)45歳の使命


私の履歴書(20)45歳の使命

<前回より>

去る3月9日に無事に45歳の誕生日を迎えることができました。この1年間を振り返ると、その前の3年間の厄年が嘘だったかのように、事業は再び安定軌道に乗り、今後も自分が健康である限り、長期的に事業継続していく目途が立ちました。45歳にもなると、自分に出来ることと出来ないことが良く分かるようになり、自分が出来ることに集中さえしていれば、何事も良い方向に向かっていくということを実感しています。言葉で言うのは簡単ですが、今までの私は自分が出来ないことも無理して背伸びしていたために、しなくても良い苦労をしてきたようにも思います。自分が出来ないことは、専門家に相談するか、外部業者にアウトソースしてしまうことで、自分自身の本業に集中することができるようになりました。

今後の目標は、やはり健康第一で、少なくとも70歳までは現役でいられるように体調管理に気を付けたいと思います。人生のパートナー探しはなかなか思うようにはいきませんが、幸い沢山の良い友人関係に恵まれているので、これからも様々な会合に参加もしくは自分で企画して、また新たな友人関係を構築していくとともに、昔からの友人関係も大切にしていきたいと思います。
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横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組 文化祭学園ドラマ「REVERSE」後編
横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組 文化祭学園ドラマ「REVERSE」後編



リバースワールドから現実の世界に戻ってきた上杉の前に転校生の水沢が現れる。上杉は水沢に声をかけようとするが、水沢は何も言わず上杉の前を通り過ぎていく。

上杉祥役=木津英隆
水沢涼子役=小林章子
岬英雄役=川崎秀樹
荒川進役=荒進治郎
杉田栄造役=杉崎栄治
大野知子役=平田由紀子
吉本薫役=桜井美保
西本和恵役=友井亜紀子
片桐次郎役=吉井雅治
生徒会長役=尾畑和久
担任教師役=清水信裕

横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組の文化祭学園ドラマ「REVERSE」の懐かしい映像です。転校生の水沢涼子役を演じている小林章子さんの演技が抜群です。

当時の僕は内向的な性格で、なぜ学園ドラマの主役に抜擢されたのか正直良く覚えていません。ドラマの前半はぎこちなかったセリフも、後半は顔つきも変わって、かなりしっかりセリフを話せるようになっており、ドラマを通して成長したことが見て取れます。その後の僕は急にリーダーシップを発揮できるようになり、生徒会長選挙にも立候補して当選を果たします。恐らく小林さんの演技力が僕にも乗り移って、度胸がついたのだと思います。

全国に同姓同名の人が沢山いると思いますし、結婚して苗字が変わっている可能性も高いと思いますが、小林章子さんは僕の人生に大きな影響を与えてくれた人だと思うので、何とかして探し出したいです。1987年の秋頃、中学2年生だった方で、関東近辺で小林章子さんという名前の転校生に会った記憶のある方はご連絡頂ければ幸いです!
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横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組 文化祭学園ドラマ「REVERSE」前編
横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組 文化祭学園ドラマ「REVERSE」前編



昭和62年6月、横浜市立田奈中学校2年1組で文化祭実行委員の上杉祥は校庭でサッカーボールを後頭部に当てられたショックで文化祭の開催されないリバースワールドに飛び込んでしまう。リバースワールドでは生徒から教師への絶対的な服従が必要で、朝夕のお辞儀は必ず90度でなければならない。校則もがんじがらめで、生徒はひたすら勉学に励む環境の中で、上杉は転校生の水沢涼子と共に文化祭の開催を実現させるために奔走する。ようやく生徒総会で文化祭をクラス提案できるところまでこぎつけた上杉と水沢に危機が迫る。

上杉祥役=木津英隆
水沢涼子役=小林章子
岬英雄役=川崎秀樹
荒川進役=荒進治郎
杉田栄造役=杉崎栄治
大野知子役=平田由紀子
吉本薫役=桜井美保
西本和恵役=友井亜紀子
片桐次郎役=吉井雅治
生徒会長役=尾畑和久
担任教師役=清水信裕

横浜市立田奈中学校 昭和62年度2年1組の文化祭学園ドラマ「REVERSE」の懐かしい映像です。転校生の水沢涼子役を演じている小林章子さんの演技が抜群です。

当時の僕は内向的な性格で、なぜ学園ドラマの主役に抜擢されたのか正直良く覚えていません。ドラマの前半はぎこちなかったセリフも、後半は顔つきも変わって、かなりしっかりセリフを話せるようになっており、ドラマを通して成長したことが見て取れます。その後の僕は急にリーダーシップを発揮できるようになり、生徒会長選挙にも立候補して当選を果たします。恐らく小林さんの演技力が僕にも乗り移って、度胸がついたのだと思います。

全国に同姓同名の人が沢山いると思いますし、結婚して苗字が変わっている可能性も高いと思いますが、小林章子さんは僕の人生に大きな影響を与えてくれた人だと思うので、何とかして探し出したいです。1987年の秋頃、中学2年生だった方で、関東近辺で小林章子さんという名前の転校生に会った記憶のある方はご連絡頂ければ幸いです!
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私の履歴書(19)30年前の記憶


私の履歴書(19)30年前の記憶

<前回より>

僕が中学2年のときなので1987年の時の話になります。横浜市立田奈中学校2年1組で製作した文化祭学園ドラマ「REVERSE」のビデオを久しぶりに実家で見ました。当時担任だった清水信裕先生の演出で、いま見てもなかなか面白く、僕と一緒に主役で共演した演劇部所属の小林章子さんの抜群の演技力で中学時代の色々な思い出が蘇ってきました。

当時の僕は内向的な性格で、なぜ学園ドラマの主役に抜擢されたのか正直良く覚えていません。ドラマの前半はぎこちなかったセリフも、後半は顔つきも変わって、かなりしっかりセリフを話せるようになっており、ドラマを通して成長したことが見て取れます。その後の僕は急にリーダーシップを発揮できるようになり、生徒会長選挙にも立候補して当選を果たします。恐らく小林さんの演技力が僕にも乗り移って、度胸がついたのだと思います。

実は若気の至りで、卒業後に先生から借りたビデオを今まで返却しておりませんでした。小林さんからも高校時代に電話を一度もらっていたのですが、当時の自己中心的な性格が災いして、その時も返却しに行きませんでした。小林さんにとってもこのビデオは青春時代の大切な思い出の一つだったはずです。
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私の履歴書(18)43歳の教訓
kitsu1

<前回より>

私の履歴書(18)43歳の教訓

40代も早いもので、あっという間に3年が過ぎました。今年の誕生日も所属IFAの美女同僚達と大学同窓会メンバーの仲間達に祝って頂き、楽しい時間を過ごすことができました。

この1年を振り返ると、イギリスでEU離脱決定、アメリカでトランプ大統領が誕生、ヨーロッパでも極右政党が支持率を伸ばすなど、各国で自国を優先する保護貿易の傾向が強くなってきていることが今後の世界経済の懸念材料と言えます。

一方、日本国内では安倍晋三首相による長期安定政権が継続しておりますが、政府が黒字化をめざす2020年度の国と地方の基礎的財政収支は8.3兆円の赤字を見込むなど、高成長・高インフレを前提とした財政健全化が困難なことが浮き彫りになっており、赤字解消には社会保障の抜本改革も含めた追加策が必要な状況となっております。

年金給付を巡っては、年金額を今より抑え、将来の年金額を確保するために、21年度からは現役世代の賃金が下がったときに高齢者が受け取る年金額も減らされることになります。現在の公的年金制度の持続可能性を高めるためには、他にも年金の受給開始年齢の引き上げや、私的年金の充実などの大きな改革が避けて通れない状況です。

私の仕事はこれまでも一貫して、日本国内の将来的な年金削減リスクに備えて、自分の年金は自分で作る準備をしておくことを提案させて頂きましたが、この方針は今後も変わりません。また、一人一人のお客様との面談を通して、この仕事が自分にとっての天職であるということを改めて実感しております。色々なお客様がいらっしゃいますが、私は基本的に人と会う仕事が好きなので、どのようなご相談にもできるだけ親身になってお話をお伺いさせて頂きます。
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私の履歴書(17)42歳の不惑
kitsu49

<前回より>

毎年、自分の誕生日に「私の履歴書」シリーズを更新すると決めていたのですが、今年は忙しさにかまけて、更新が3か月以上も遅れてしまいました。誕生日前の直近1年間を振り返ると、公私ともども人生ワースト3に入る大変な年だったように思います。男性の41歳は本厄の年でしたが、年初に厄払いも何もせず、厄年を甘く見ていたことが裏目に出ました。これではいかんと思い直し、昨年10月、上杉謙信公の永遠のライバルである武田信玄公を祀る武田神社で厄払いをして頂いた後、少し運勢が良くなってきたように思います。

気が付けば、自分も今年は42歳、楽しかった30代はあっという間に過ぎ、自分も中年の領域に入ってきました。昔は人生50年だったことを考えると、これから先の人生はボーナスのような人生と言えるのかもしれません。30代後半で自分の一生やるべき今の仕事を見つけることができたのですが、昨年は他の仕事を掛け持ちしようとしてあまりうまくいかなった反省もあり、今後はもう迷うことなく、香港在住独立系ファイナンシャルアドバイザーとしての仕事に徹していきたいと思います。

そう決意した途端、心の迷いがなくなり、仕事も少しづつ昔の活気を取り戻してきたように思います。とにかく私達の仕事はお客様の立場に立って、可能な限り中立的なアドバイスをしていくことが求められます。香港にも様々な金融商品があるので、各商品が持つリスクとリターンの関係をどれだけ正確にお客様にお伝えする能力を備えているかどうかが、この仕事の神髄と言えます。

私自身、以前に格付け会社に勤務していた経験が、現在の仕事にも生かされており、様々なデータを用いて、各金融商品の特徴を出来るだけ分かりやすい言葉でお客様にお伝えすることを心がけています。お客様一人ひとり、運用目的はそれぞれ異なるため、最初のコンサルティングに出来るだけ多くの時間をかけて、それぞれのお客様のニーズに適した商品を提案できることが私達の存在価値とも言えます。

2009年に香港で独立開業した際、お客様に献身的なサービスを提供し、資産運用サービスを通してお客様に心から健康(健心)になって頂き、上杉謙信公のように皆様から頼られる存在のアドバイザーになることを掲げて、サラリーマン人生から独立することを決意しました。今でもその気持ちに変わりはありませんが、7年の月日が過ぎ、自分の心に甘えが生じていた部分もあったように思います。

これからはもう迷うことなく、一期一会を大切にして、素敵な人達と巡り合いたい、そんなことを出張先の上海で、外灘の夜景を眺めながら、考えておりました。「香港IFA木津英隆のマネーは巡る」はまだまだ巡ります。これからも皆様のご支援を宜しくお願い致します。

<来年へ続く>
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私の履歴書(16)41歳の決断
kitsu38

ただいま、花婿修行中です!

<前回より>

ちょうど1年前の2014年3月9日(日)、人生40周年の節目となる日を、多くの友人とお取引先の皆様にお祝いして頂き、人生最良の日を迎えることができた。あれから1年、この1年は仕事上は試練の1年だった。円安傾向のため、ドル建てプランを中心に取り扱う弊社の売り上げはピーク時の半分以下に減ってしまった。自社オフィスを閉鎖し、経費を大幅に削減して、生き残りを駆けた戦いが今も続いている。起業当初は毎日更新していたブログも、更新頻度が大幅に少なくなってしまい、自分自身の仕事に対するモチベーションも下がってしまったようだ。起業して6年、自分なりに奮闘してきたが、もはやこれまでかと覚悟を決めた。

しかし、自分はどうもピンチになると、急にやる気が出てくる体質らしい。ブログの更新頻度は減ったが、フリーペーパーの記事広告やSNS経由での問い合わせが増えて、ここ最近は毎日の問い合わせ対応に忙殺されている。私が数年前に書いたブログ記事を読んで、あるいは幣筆の私の履歴書シリーズを最初から全部読んでくれて、私に問い合わせをしてくれるクライアントもいる。金融の仕事は何よりも信頼が大切だ。決してクライアントの前で甘言を言うことなく、リスク説明を最初にしっかりした上で、香港の金融機関を活用するメリットを地道に説明してきた効果が表れてきた。

私個人の目標もできた。これまでは仕事が恋人で、一生独身でもかまわないと考えていたが、ここ最近、家族や結婚に対する考え方が変わってきた。クライアントとは家族ぐるみの付き合いになることも多いが、私自身の家族がいないのは、何とも心苦しい。クライアントに推奨するプランは、自分自身もほぼ全て契約しているが、学資保険だけは自分の子供がいないので、契約したくても契約することができない。4年前の震災以降、結婚するカップルが増えたというが、皆、命をつなぐ大切さに気付いたのだと思う。

私も仕事が減って、ピンチに陥ったとき、そのことにようやく気が付いた。自分が苦しいとき、本当に心配してくれるのは家族しかいないのだと。いまはまだ両親が健在だが、長男で後継ぎのいない私のことを、父はいつも嘆いている。後継ぎという時代でもないが、40代になって、自分自身の仕事に対するモチベーションが下がってしまったのは、自分の家族がいないことが多少なりとも影響しているように思う。そういうわけで、ブログタイトルの41歳の決断は「家族を作る」ことだ。え、もう相手は決まっているのかって?そんな野暮な質問はしないでほしい・・

<いったん終わり>
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